会社には大学を卒業(1年留年)してすぐ入社しました。本当は入れるかどうかは別として、資生堂に入りたかったのですが、大学2年の春に父が高血圧で倒れ、次に倒れたら助からないといわれていたので、外で働くという時間的余裕ありませんでした。
畳の仕事に関しては、高校のときからちょこちょこ家でバイトをしていたので、入社後は2年ほど畳の修行をした後、徐々に社長業の勉強をするようになりました。
ただ大きな会社ではないので、帝王学を学ばされるというよりは、俺の背中を見て覚えろって
感じでした。しかし実際の仕事内容は、うちは畳店といっても内装業もしていましたので、
その頃は主に内装の見積もり、材料の手配、職人の手配や残材の回収などの繰り返しでした。
もちろん忙しいときなどは、畳の手伝いもしてはいましたけど、それは数えるほどでした。
その後年々社長業の仕事の比重が大きくなりました。この当時は皆から専務と呼ばれ、立場的に非常に心地よい場所にいました。
すなわち会社のNo2、つまり次期社長と崇められながら、責任はない立場というわけです。
今思えばやりたい放題、この頃には使っている職人さんや取引先も自分の好みの人達を多く
使うようになり、自分色を強く出し始めた頃でもあります。日増しに付き合いも多くなり、
夜も忙しくなり、生活が乱れてきた時期でもありました。
そんなときです、父が心筋梗塞で倒れたのは・・・続く








