会社には大学を卒業(1年留年)してすぐ入社しました。本当は入れるかどうかは別として、資生堂に入りたかったのですが、大学2年の春に父が高血圧で倒れ、次に倒れたら助からないといわれていたので、外で働くという時間的余裕ありませんでした。
畳の仕事に関しては、高校のときからちょこちょこ家でバイトをしていたので、入社後は2年ほど畳の修行をした後、徐々に社長業の勉強をするようになりました。
ただ大きな会社ではないので、帝王学を学ばされるというよりは、俺の背中を見て覚えろって
感じでした。しかし実際の仕事内容は、うちは畳店といっても内装業もしていましたので、
その頃は主に内装の見積もり、材料の手配、職人の手配や残材の回収などの繰り返しでした。
もちろん忙しいときなどは、畳の手伝いもしてはいましたけど、それは数えるほどでした。
その後年々社長業の仕事の比重が大きくなりました。この当時は皆から専務と呼ばれ、立場的に非常に心地よい場所にいました。
すなわち会社のNo2、つまり次期社長と崇められながら、責任はない立場というわけです。
今思えばやりたい放題、この頃には使っている職人さんや取引先も自分の好みの人達を多く
使うようになり、自分色を強く出し始めた頃でもあります。日増しに付き合いも多くなり、
夜も忙しくなり、生活が乱れてきた時期でもありました。
そんなときです、父が心筋梗塞で倒れたのは・・・続く
4月
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4月
14
忙しさにかまけて、ブログの更新怠けてましたが、ようやく暇になったので、
これからはどんどん投稿するつもりです。
そこで今日から私の生業について、少しずつ話していきたいと思います。
昨今でこそ、畳替えのチラシや電話等で、畳の営業が増えてきましたが、
今までこの業界は、受身の考えが強く、自ら営業することはまれでした。
というのも昔から部屋といえば畳、という流れがあったので、営業しなくても
断るほど仕事があったからです。私が入社した頃は、11月から6月まで毎日残業、
休みも日曜(12月は休みなし)だけで、祭日さえも関係なく仕事でした。
いわゆるバブルの時代です。営業なんて考える必要はありません。一日やった分、
その日のうちに、また仕事が入ってくる。そんな日の繰り返しだったからです。
おかげで毎年給料は上がるは使う暇がないはで、かなりお金が貯まりました。
当時は旅行も多く、大概の工務店で総会旅行があった為、年に7回前後は旅行に
行っていました。また、新年会・忘年会などの飲み会も多く、12月から1月までは、
週2ぐいらいのペースで飲み歩いていたのを覚えています。
今思えばこの贅沢な経験が、その後の仕事のやり方、会社の運営の仕方に悪影響を与え、
その後会社を間違った方向へ導いてゆくことを、その時の私は思いもしませんでした。
続く








