利益がでれば社員へ還元しろ!これが父の考えです。一方、利益は内部留保し、将来へ備えたい!
これが私の考えでした。確かにあの当時、今思えばバブルの終わりかけでしたが、当時は誰も終わりが
来るなんて考えてもいません。当然二人はぶつかり合います。「職人があっての会社だ!
税金払うぐらいなら、全部ボーナスでだしてやれ!」「この先どうなるかわからないんだから、
半分税金で持っていかれても、貯めておいたほうがいい!」何を言ってもらちがあきません。
そのとき父が出した結論は、「じゃあ、俺が個人的にボーナス出してやるからいい!」でした。
当然「ふざけるな!俺の立場はどうなる!」と大喧嘩。結局この騒動は、親戚中を巻き込んで、
大家族会議に発展し、協議の結果、父が引退し私が社長になることに決まりました。
しかし私の心は晴れませんでした。なんか無理矢理父から会社を奪うようで、釈然としないというか、
本当の意味で、認められて交代するしたかったという思いからか、もやもやとした気持ちが心の中に
広がって行き、結局父に頭を下げて、社長交代は取りやめとなりました。もちろん親戚中には、
何のために集まったんだと怒られましたが、私の心は晴れ晴れとしていました。しかしその後、
社長交代までの時間は、そう遠くはありませんでした。そう、半年もしない間に、ある日突然、
父は「社長を交代する。あとはお前がやれ!」と言って引退を決意したのです。 続く
6月
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5月
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私が20歳のとき高血圧で倒れて以来、何事もなく元気だった父が、突然倒れたのは心筋梗塞によるものでした。 当時出来たばかりの自治医大に運ばれ、先生から治療には足の血管を採取し、それを心臓の周りのつまってしまった血管の代わりに使うと聞かされたときは、かなりのショックだったことを覚えています。心筋梗塞は、今でこそ ポピュラーな病であり、手術も簡単になりましたが、当時バイバス手術ができる病院(先生)は少なく、当時の担当の先生からも、この病院ができてなかったら、助からなかったと思いますよと言われました。大手術に、長期にわたる入院を経て、父は元気になって退院となりましたが、先生に10年後生きてる確率は3割ですと、はっきり言われた瞬間は、私にとっては、イコール専務という楽な立場から、引きずりおろされる感覚を意識した瞬間でもありました。
しかし元気になったとはいえ、前の様には働けなくなった父の代わりに、精力的に仕事をこなしていった私は、周りの人達からも持ち上げられて、だんだんつけあがっていくようになりました。もうそうなると、自由が利かなく苦しんでいる父と、わがもの顔の私は、仕事のやり方で度々衝突するようになり、ついにあの大喧嘩の日を迎えるのでした。 続く








